当社は、1998年、一度会社更生をせざるを得ない経営状況にまで陥りました。
そこから経営陣が刷新され、再興の歴史が始まりました。
当社の歩みの中で、何が起きて、その都度何を大切にしてきたのかを、お取引先はもちろん、当社従業員や、これから仲間になってくれる方にも伝えていきたいと考え、本コーナーを設けました。


当時起きたこと、そこからの道のり、当事者たちへのインタビューによる、扶桑工業再興物語。ドキュメンタリーです。


吉本社長&専務

◆1998年5月27日。会社更生法適用申請

それは、突然やってきた。
「知らない人がパパパっとやってきて、役員が即解任されました」と現社長の吉本は語る。
知らない人というのは、弁護士さんで、「この会社は会社更生法が適用されたので、従業員に伝えてください。」とだけ伝えられて、その日は終わった。

1998年5月29日。全社員と、主要購買先への説明

そこから続く、苦労の日々のスタートだった。
お客様のニーズがあったので、会社は潰れず、更生、という道を選ぶことになった。
当時部長だった30代〜40代の社員たちが暫定で役員になることが決まり、管財人の指示の元、会社を更生させることが始まった。

とにかく、お客様のためにも、生産、納品をし続けなければならない。
現在専務を務める高橋は「当時、ラインは1日も止めなかった」と振り返る。

現場は動いているまま、新米役員5人で、業務終了後毎晩集まり、何をどうする?という議論が始まっていた。
まずはお金がどれくらい残っているのかを見る。購買を見直さないといけないことは、明白だった。

更生計画を遂行するには、生産と供給は絶対止めてはならないということも同時に必達であり、更生計画遂行のために、購買取引継続や契約内容の見直しをしつつ、それでも部材は仕入れ続けさせてもらいたいという無茶苦茶なお願いを、購買先一軒一軒へ、説明にあがる必要があった。

新米役員たちで、毎日のように、購買先に頭を下げに供給確保のお願いに廻る。
「ふざけるな」「お前らは助かっても、ウチは潰れる」
飛んでくる怒号を真正面から受け止め、それでも会社と社員を守るためにという一心で、頭を下げて取引き条件や契約の見直しを進める日々。

吉本も高橋もそのときはただ必死だったという。
やりたいとか、辛いとか、考える余裕もなく、ただ、目の前に起きていることを、自らの運命として、仕事として、そして社員のために、目一杯に向き合っていた。
このとき、今後事業を進めるにあたり強く思っていたことは、購買先は二度と裏切らないということ。

経営危機のとき会社を救ってくださったのは、もちろんお客様でもあるがやはり購買先の理解と協力があったからこそである、という意識も新たにし過去手形で払っていたところとの取り引きは、月末締の翌月10日現金払いに切り替えた。

少しでも、当社を助けてくださった購買先の経営状況が悪くならないようにということを常に意識して。
同時に、社員は絶対路頭に迷わせないということ。

220人の社員は一人もリストラしない、ということもこのときに決めた。
それでも、嘱託の方は一部どうしても見直さざるを得なかった。
「ここで扶桑工業本体を継続させなかったら、社員も、お客様も、購買先も、全ての人が困り果てる。全てが無になってしまう。」
新経営陣はそう考えた。

結果として、採算が合わないグループ会社は廃業にした。破産解雇せざるを得なかった。
人生に重みがあるわけではない。
しかし、目の前の社員と更生計画を最優先に、取捨選択をせざるを得なかった。

再興物語 後編へ